2019.05.26ピアノ・ブログ・レッスン
藤沢市のピアノ教室MARE鵠沼海岸です。引き継ぐこと
藤沢市のピアノ教室MARE鵠沼海岸です。
毎日レッスンをしながら、この頃よく思い出すことが一つあります。
それは、私自身が弟子としてレッスンに通っていた頃のこと。
ピアノを習い始めた時、私は5歳だったそうです。
初めてピアノのレッスンに行った日のことを、今もおぼろげながら覚えています。
夏だったのでしょうか、白いワンピースの女の人がそこにいたこと、その後ろに黒いピアノがありました。
残念ながら、その日その場でピアノを弾いたかどうかは忘れてしまいましたが、やがてそこへ行くことが多くなったこと、
ピアノを弾くとシールを貼ってもらったり、赤い花マルをもらったりしていた気がします。
私がピアノを習い始めたのは、全然自分の意思とは関係なく、年の離れた兄がピアノをやめてしまい、誰も弾かないピアノが家にあったからだそうです。
この白いワンピースの若い先生には、5年生まで習いました。
5年生の時に、新聞記事を読んだったのかどうだったか、ピティナという団体があり、とんでもなくピアノが上手な子どもたちがいるらしいという情報を得た母が、主宰する先生に会う約束を取り付けてきました。
母にすれば、我が子もけっこうイケてると思っていたそうですが、とんでもない勘違いでした。
そこからが本当のレッスンの始まりでした。
何も知らない、わかっていない小学生にピアノの先生、ソルフェージュの先生それぞれの先生方が本当に辛抱強く、1どころかゼロからやりなおしてくださったおかげで、今の私があります。
あの頃ソルフェージュ教室で出会った友人の中には、今第一線で活躍中のピアニストもいます。
私はそんな優秀な小学生、中学生の中で最もできの悪い劣等生で、お荷物な存在だったことでしょう。
ところが、当の本人はこのソルフェージュ教室が楽しくて仕方なかったのです。
知らなかったことを次々と知って行く喜びが、多分ものすごく刺激的だったのではないかと思います。
また、学校の友達ではない同世代の友人に会い、いろんな話ができることもひとつの要因だったかもしれません。
でも、何より大きかったのは、出来が悪いはずの私をさげすむ人がいなかったこと。
先生は、必ず私のよいところを見つけてくださって、ほめてくださったこと。そして、そこを特に伸ばしてくださったこと。
そんな経験があって、ピアノをやめることなく続けることができたのだと思います。
また、その頃から大学卒業まで、3人の先生方にお世話になりました。
どの師匠も、やはり手を焼いたのではなかったかと思います。
出来が悪い上に、私は手が小さく、ピアノを弾くには不向きです。
先生方は手が小さいことを嘆きましたが、逆にそこを強みにできるようなレッスンをしてくださいました。
手が小さければ、手が大きい人が不得意とするところを得意分野にすればいいとのお考えでした。
聞いたところによると、手が大きい人は指が鍵盤の前部分(鍵盤の蓋の裏側です)によく当たってしまい、
ひどい場合は突き指状態になるとのこと。
また、小回りが効かず、速いパッセージが苦手ということ。
ですから、小さい手の私は速いパッセージをより速く・・・ではなく、より美しく弾くことに心を砕けばいいじゃないか、と
考えるようになりました。
手が小さく苦労したことや、出来が悪かったことは、今ピアノを教える立場になった私の強みとさえ思います。
みなさんそれぞれの悩みに寄り添える、という確信があるからです。
なぜうまくいかないのか、弾けないのか、心あたりがあり、一緒に悩み、導いて行きたいのです。
どの先生もおっしゃっていました。
「私が先生から教えていただいたことを、あなたに伝える。」
ですから私はいま、
私の師匠から受け継いだことをひとつも漏らさず、生徒さんに伝えていくことが、
私ができる、師匠への最大の恩返しです。
こうして私が引き継いできたことを、もれなく全て、生徒さんにお伝えできるように
また明日からピアノに向き合っていきたいと思います。