2020.10.19オンラインレッスン・ピアノ・レッスン
私にとってのピアノとは?ピアノ教師としての思い


ご訪問いただきありがとうございます。
湘南・藤沢市のピアノ教室MARE(マーレ)鵠沼海岸です。
少しずつ秋が深まり、気づいたら重ね着するようになりました。
2020年という年はみなさんにとってどのような年でしたか?
おそらく多くの方がそうであるように
私にとっては忘れられない年になりそうです。
気づいたら、ピアノとのつきあいは長くなりました。
あと数年で50年に達します。
よい時もよくない時も、片時もピアノから離れなかったなあ。
こんなに続くとは・・・
振り返ってみると、その時々に私と一緒に
ピアノと向き合ってくれた人はそれぞれ別の方向へ進みましたが
ピアノだけがいつもいっしょでした。
これはすごいことだと改めて思います。
1. ピアノとの出会いとそれから
私とピアノの出会いは、おそらく母のお腹にいた頃です。
よく人から聞かれますが、両親は音楽とは無縁。
当時の習い事として、ピアノが人気だったのですね。
黒い大きなピアノを購入して、家におき、子どもに習わせるのが
一種のステータスだったかもしれません。
私の場合は、年が離れた兄が一足先にピアノを習っていたので
出会いがお腹の中だった、というわけです。
その兄はピアノをやめてしまったのですが
せっかく大枚をはたいて買ったピアノが
「もったいない」のと
「女の子だから」
という理由でピアノを始め「させられた」のでした。
「ピアノの先生になりたい」と母に言ったことを覚えています。
「赤い花マルをつける人になれる」から。
音楽とは何の関係もないですね(汗)。
まだ学校へあがっていなかったので
他に赤い花マルをつける職業があるとは知らなかった・・・。
猪突猛進型の「母」がここから夢中になって
娘の夢を叶えようと、一生懸命になってくれました。
今、軽度の認知症を患っていますが
先日、子どもの頃の私のピアノの練習
「え・・・?まだ弾くの?」と
よくうんざりする日が多かった、と告白されてびっくり。
こちらは叱られたくなくて練習していたのにね。
そんな母のお陰もあって、現在の私がいるわけです。
それからは様々な紆余曲折がありました。
初めて習った先生から、次の先生にお世話になってからは
ほぼ一からやり直しでしたし。
そんな私でしたが、音楽高校・音楽大学に進み、卒業しました。
卒業後は、赤マルをつける先生の仕事は1年ほどしかやっておらず
演奏する仕事がメインでした。
2. ピアノの先生としてのリスタート
演奏しながらも、少ない生徒さんを持っていましたが
出産し、子育ての終わりが見えてきてからが
ピアノの先生として改めての出発だったと思います。
レッスンで、ピアノを弾くことについてを教えるのはもちろんのこと
ピアノを通して、音楽の楽しみを覚えてほしいと思いますし
やり抜く力を身につけてほしいとも思います。
ピアノ弾くことを通して生きる力を身につけてほしい。
こんな思いでレッスンをしています。
紆余曲折あったからこそできるようになったことは全て
出し惜しむことなく伝えたい。
演奏し続けてきたからこそのアドヴァイスもしたい。
二人の娘の子育てをしたことによって
生徒さんとの接し方は劇的に変わりました。
何度も書いていることですが
私のようにピアノを弾き続けることをオススメしているわけではなく
一度ピアノと出会うことができたら
弾き続けることが不可能になっても
付かず離れずというか、音楽を友だちに人生を歩んでいただきたいのです。
ピアノを入り口に、他の楽器を選ぶかもしれない。
クラシックから、他のジャンルに興味を持つかもしれない。
どんな形でも、元はピアノを習ったことによって
枝葉が分かれていく
そんな風に、音楽とともに生きていけるように
こだわりのレッスンをしています。
3. これからもずっと
しっかりと基礎を身につけられたら
選択肢は多岐に渡ります。
特に今年の、コロナによる混乱の中
多くの人が音楽に支えられたはず、と信じています。
いつ何時も、音楽が励みになりますように。
私のこれからは、これからも
ずっとピアノといっしょです。
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