2021.08.20パイプオルガン・ピアノ・レッスン
【ピアノ】バッハが好き 〜前回からの続き
こんにちは。湘南・藤沢市のピアノ教室MARE鵠沼海岸です。
長雨で被害の大きかった地域もあるでしょう。
心よりお見舞い申し上げます。
また、コロナの被害についても
ここ数日、本当に信じられないようなニュースを
耳にして暗澹たる気持ちです。
人でも、動物でも物でも
自分以外のいのちを軽く見る人が
こんなにたくさんいるのか、と怒りを通り越して
悲しくなります。本当に悲しい。
私の教室には大人の生徒さんと子どもの生徒さんが半々。
子どもと触れ合う機会が多いだけに
運動会や遠足、修学旅行など
楽しいことを我慢させられている憤りを
直に感じます。
選挙権がない彼らに申し訳なく思います。
子どもの1年は短い。
市井の人へ、まなざしを向けてほしいと心から思います。
さあ、バッハの続きです。
前回はバッハが月明かりの下、お兄ちゃんに隠れて
一生懸命に写譜(楽譜を書き写すこと)をしていたこと
おそらくその酷使が原因になって、晩年に失明してしまったこと等
書きました。
現代の私たちが移動のために
車や電車、飛行機などを容易く使えるのとは違い
生前のバッハの頃は馬車か徒歩。
二十歳のバッハはアルンシュタットで教会オルガニストを
務めていました。
当時超有名だったブクステフーデの音楽を聴くために
4週間の休暇をとり
アルンシュタットからリューベックまでの
400km(藤沢から京都ぐらい?)を歩いて行ったんだって。
バッハの情熱的な性格がうかがえます。
しかも4週間の休暇は勝手に4ヶ月に延ばし(笑)
帰ってきてからたくさん叱られたそう。
この4ヶ月間に、ブクステフーデの即興的な音楽に心酔し
たくさん学んで帰ってきたバッハは教会でいろいろと
新しい試みをした結果、教会との関係が悪化して転職します。
その後のバッハも転職を続けます。
妥協を許さないエネルギーを内に秘めていたのでしょうね。
あ、内ではないかも。
バッハは情熱の人。
お弟子さんや聖歌隊の人がヘタだったりすると
カツラを投げつけて怒ったという話は
若かった私の印象に残り
どうもうまく弾けない・・・と思うと
「カツラが飛んでくる〜泣」と思ったものです。
学生時代に試行錯誤し
お仕事として合唱団の練習ピアノを担当したり
オーケストラの中で鍵盤奏者をつとめたりするうちに
ピアノだけでは用が足りなくなり
オルガンの先生に教えを請いました。
オルガンという楽器を通して
それまではほぼ知らないに等しかった
バロック期の演奏について、多くの学びを得たことから
今、ピアノのレッスンに役立っていることが
本当にたくさんあります。
レッスンで生徒さんと一緒にアナリーゼをする喜び!
続きはまた・・・